現実を知れば、嗜好も変わる

    日常のちょっとしたことで「あるある!」と共感しあって、話のタネになったり、ちょっとクスッと来るような話。

    スキルアップや技術の話。主にPC関係と、ビジネススキル。自分自身がダメ人間だから。

    日常で役立ちそうな話。モノでもサービスでも生活の知恵でも。

    ゲームの話。こんなゲームがあって、こんな楽しみがあるよ、といった感じのふんわりした紹介。ガチレビューとはまたちょっと違う。

 

    ここ数年はそういった類のものが好きなので、巷で見る『同人作品』には何も感じるものがなくなった。

    思うに、これは『同人と商業出版の境目が曖昧になり過ぎた』からでは説明がつかなくて、きっと『現実に根ざしたもの』を好むようになったからだろうと思う。

    ゲームをやる時間。漫画を読むのに没頭する時間。二次元の世界に浸っている時間。

    それらは確かに楽しいが、その過ぎ去った時間の向こうには、何も変わらない自己の姿があって、結局『現実逃避でしかない』という本質に気づいたからなのだと。

    私達は『いま』を、『現実』を生きているのであって、主人公に感情移入して二次元の世界でチヤホヤしてもらう目を味わったり、画面や紙面の向こうで推しキャラ同士の恋愛を出歯亀したりしても、作品を閉じれば『見る前と何も変わらない自分』がいるだけだ。

    『現実と足を止めて殴り合う』事を選択した私にとって、結果、そうした作品は共感の対象とはなり得なくなった、という事なのだろう。

 

    そうじゃないと、生きていけないからね。