好きなのは、『アウトプット』と言うよりも

 そういえば、先週公開のやまやまキャストで『アウトプットが好き』という話が出ていたんだけど、
 私自身としては『アウトプットが好き』と言うよりは、
 単に『書く』という行為そのものが好きなのと、
 それしか自分の持っている全てを表現する方法がないと思っているからだと思っている。
 私は元々喋るのが苦手な上に、音声からのインプットもあまり得意じゃない。
 文章を通したインプット・アウトプットの方が得意なんだ。

 今、こっちの別館は1日10以下のPVしかつかないし、
 本館の方は意図的にPV見られない状態にしたまんま書き続けてる。
 ネット初期の頃からは大分時世も変わってしまって
 『書くだけ』では誰の目にも留まる可能性が無くなってしまったわけだけど、
 それでも、人目につく所に何か置いとけば
 いつかは検索で偶然辿り着いた『誰か』の役に立つのかな、とも思ったし、
 誰の目に留まらなかったとしても、誰に共感されなかったとしても、
 『書いたもの』は使っているサービスが続く限り、ネットに転がり続ける。
 ある日私が急逝したとしても、それは『私がこの世界に居た証』として残るわけだ。

 それで良いと思ったし、その覚悟もできたから、
 『PVなんぞクソ食らえ』という気概で続けていられる。

 ……とまぁ、いろいろ言ってきたけれど、
 墓参りに行った時に『所有者不明』の立て札があちこちの墓石用地に立っているのを見ると、
 一般人の人生なんて、直近の血縁者が死ねばあっさり忘れ去られちゃうもんだな、
 軽い諸行無常感を味わってしまうわけで。

 だから、みんな遠慮無く好きなことをして、好きなように生きて死んでいくといいと思うんだ。
 私はそうすることにしたから。