【雑記】「自分の書くものへの愛」ってなんだ

なんか本質的なことに気づかされたかも。

最近、ホントに二次創作できてない。全くと言って良いほどできてない。

そんなときにGoogle Documentsを開くと、書きかけで数ヶ月経ったものや既に更新済み、または旧メインブログが生き残ってたときの二次創作用の文章ばかりが目に入ってきてすごく打ちのめされた気分になる。

文章に行き詰まって手が止まると、そのまま集中力を失って書くのを投げ出してしまう悪癖。それは二次創作の文章に限らずこの作業部屋でもそうなのだが、とにかくなんとかして文章を仕上げないと一生書きかけのまんまで止まって開くのも嫌になってしまうんである。そしてそこには多大な苦しみが伴う。

果たしてそれは「愛」があれば防げるのか?

そしてその「愛」っていったい何なのか。何のことを指すのか。

文中でも言及されていた「書いているときの自分の楽しさを最優先すること」か?

そうだとしたら、書くことそのものを楽しめていなくて作業部屋の毎日更新にも結構な徒労感を以て何とか続けている現状、到底「楽しさ」とは程遠い状態だよなぁ……と。

もともと二次創作は考えることそのものだけでも楽しかったはずなのに、その感情の積み重ねと日常の忙しさ――いや忙しいと言っても考えてみれば一時だけ――にかまけて考えることそのものを止めてしまった、ということなんだろうか。

ゆきにー師匠(id:yuki_2021)はコメントのシメに「創作は苦しいのを我慢して最後まで頑張ると成果が得られるような行動ですから、自信をなくさないようにするのが一番大事なんですよ」と書いていたが、自信かあ……今のところ自信に繋がりそうなものは何もないよな、少なくとも創作に関しては。この作業部屋は最近「忙しいながらも毎日更新ができている、そして読者もついてくれている」というところで励みになっているしそれが自信にも繋がりそうなんだけれど。

でもそうなると「反応があるから書き続けてる」というのが露呈してしまうわけで、結局は「『反応』という報酬がないと、自分にとっては文章書きは続かないんやな」とも思わされてしまうわけでもありまして。毒されてるよねぇ……世間の評価に。「書くことはボトルメールを流すようなもの」「無人島で石を穿つようなもの」と言っておきながら結局はお前もいいねとPVの奴隷だったんじゃないかと。

でも、そうじゃないと切ないよな。人間だもの。書いたものへの反応は欲しい。

ただ、それが「書くものへの愛」につながるのかと言われれば、それも違う気がする。PVや反応におもねって文章を書き始めたらそれこそブログ文化を壊した奴らと本質が変わらなくなってしまう。それは絶対に嫌だ。

「純粋に自分が読んでて楽しい文章を書くこと」「自分の読みたいシチュエーションを言語化すること」まずはそこを目指すことが、「文章を書くのが楽しいと思えること」を取り戻すひとつの道なのかもしれないね。頑張ろう。やる事多いけど。