ここ数日の間に、私が目指すところのこの人が、
凡人の近況報告的なことは(少なくとも私の情報は)ノイズだと思う。
— やままあき◆喫茶アメリカン(銀座)の食レポ本出しました (@yamama48) 2020年2月21日
雑記ブログの日記記事はSEO的にもノイズになるので削除している、という人もいる。
求めてくれる方にだけ届く場として、noteのサークル機能は有効であるように思う。
こんな感じで有象無象の小金稼ぎブロガーの『ブログ論』に感化されたような事を言い出して、最近はPodcast絡みでお仕事も増えたようだし、
『あぁ、そっち側へ行っちゃうのかぁ……』感しかしなくて、
お金が絡むとやっぱ人間変わるよね、と使い古された教訓じみた言葉を思い返していた。
書き方は人間(ヒト)それぞれだから何も言わない。此方が見方を変えるだけの事。
その旨をパパパに話したら、「もう少し待ってみたら」と言われた。
理由を問うと、『やままさんが何を以て『日記は読まれない』と言ってるのが解りかねるから』という事だった。
その上で切り出したのは『ただの日記』と、断片的にでも情報を含ませて出す『生活雑感』の違い。
『誰と、何処で、○○しました。○○だった』という、事象の羅列と個人の感想で終わるのが、日記。
そこに、行った場所の詳細だとか、買ったものの値段だとか、『他人が参照して再現性を持たせられる内容がある』のが、『生活雑感』。
要は『情報』として成り立つか否か。そこが分かれ目。
で、パパパ曰く、私が『日記』と呼んでいるものは、殆どが『生活雑感』で『情報量が濃い』と言われた。いやそれ身内バイアスかかってね……?
確かに、Podcastの更新情報とか、イベント情報だとか、そうした告知じみた内容は、いつものやままさんからすると『本当に書きたい内容』ではないのかもしれない。
だから、『書いてて楽しくない』からこそ、ブログにかける時間を削ろうと思ったのかもしれない。それはそれで仕方がないと思った。
今の私もそうだけど、『自分がやってて面白いと思う事』をやるのが一番だもんね。
文章書くのも、『書いてて楽しい』でナンボでしょ。私はそれだからこそ、人が来なくてもブログ続けてられるんだし。
で、そんなやままさんを目指している私は、これからどうするのかと言われたら。
勿論、今まで通りに『生活雑感』メインでいろいろ積み上げていく。本館はプラス、二次元夢要素でこれも今まで通りの『あたしンち』。
興味本位で訪れた人が、読み込んだ内容から何かしらのエッセンスを取っていければ、それでいい。で、そこにお金は発生しない。お財布にやさしく、夢の後押しを。
信じてくれた人がちょっとだけ幸せになれるようなやり方をしていきたいね。
あの『凡人の星になる』は、今でも私の創作の教科書だから。