【雑記】創作の素は貯まってる、ただ外に出す暇が無いだけで

出したところで読者は自分だけだから何の影響もないんですけどね。

ただ、お外に出せたことでスッキリするだけっていう。単なる自己満足。なんかの反応が貰えたら嬉しいけれど、それに値しないだろうってことは自分が一番よく解ってる。ただ、それでも良いからって続けてるのが今の創作形態だ。

今日はムスメを放課後デイサービスの仲間達とフェニックス動物園に送り出した後、放課後デイサービスの事業所まで行って保護者会に参加してきた。その後は島之内方面の100円ショップを巡りながら、夕飯のおかずの買い出しをしていた。全て終わった後は家でつかの間のゴロゴロを楽しんだ後、帰ってきたムスメが後ろでゲームをする中、PCで推しの尊顔を音楽と共にぼーっと眺めていた。

単に眺めていただけ。何かを形にしたりとかそういうのは、しなかった。

多分一番の原因はとっ散らかりすぎた机のせいだと思ってる。あっちにもこっちにもメモとノート積みすぎ。

結局その中で使うのは一握りしかないんだから……とも思うし、最近は左右にメモとノートとレシートの山がせり出してきてて、ペンスタンドも増えたし、作業に使えるスペースはますます減るばかり。思考力も取られる。いいことが何もない。何とかしたい。

そういえば昔書写したツイートの中に、こんな一文があった。

創作意欲がわかないとき、思い出して欲しいのは

疲れているときは、何も考えず頭に流し込めるコンテンツに浸りたくなる。
ストレスが強いときは、刺激が強くて思考を止められるコンテンツに没頭したくなる。

つまり現実をちゃんと生きてるってこと。
創作の素材はちゃんと身体にたまってる。

正に動画や音楽はそんな感じだなと思っていて、割とストレスは受けていないつもりなんだけれど実はそうでもなかったのかな、と思ったりして。

でも現実を生きている、というのは間違いないなと思った。ムスメの学校のこと、毎日の準備や送り迎えに宿題、それから洗濯だったり学校や放課後デイサービスから来る事務処理だったり。週2回は夕飯当番も。間違いなくそれらは現実だ。現実を生きている。

でもそれらが創作の素材に昇華できるか、と言えば今のところそこまで至っていないのが現状だ。暇があれば動画見てゴロゴロしてるか寝てるから、というのはあるけれど。

ゴロゴロが止んで、今生きている現実が創作の素材として使えたら、きっと何かいいもの……とは言わずともまた外に出せそうなものができそうな、そんな気はする。

現実を生きながら、自分のことも頑張らなきゃ。