昨日のゆきにーさん(id:yuki_2021)の記事が心にグッサリぶっ刺さったので。
……いやね。いろいろあってね。
最近本当にやる気が出なくて、手っ取り早く何かしらの刺激が欲しいからって腹が張り裂けるほど喰っては横になったまま動かなくなる日々がずっと続いてるし、かといってゲームやろうとしても今ひとつやる気が出なくて、結局動画をダラダラ垂れ流して横になりながら見てるだけで一日が終わっていく。
机に座るとすぐ、ムスメが呼びに来たり膝に座ったりするついでに文具ストックを漁って気に入った物を持っていくから、休日に何かしようと思うとゲームするか動画見てるかくらいしかなくなるんだけど、ゲームも「後で記事にしたい」と思ってプレイしようとなると、迂闊に進めると後でプレイの内容が思い出せなくなるからなあ……
それで結局、此処までにやったゲームみんな記事にするの断念してるし。いや、サブノーティカなんかは何度もやってるからまたやり直しても良いんだけど、アサクリとかポルティアとかボリュームが100H前後になるゲームは流石にやり直すのキツい気がする。今やってるノーマンズスカイも間違いなくやり直しがハゲるゲームだし。
で、最近ヒットマン三部作の爆笑プレイ動画をよく見てるので、またハゲの暗殺者になりたいなーと思って「その事を記事にするなら誰とやる?」という旨の構想をSNSに流してきたんだけど、Twitterでいいねが一件ついたきりでさ……
なんか、その時一気に気力が萎えた。
「反応貰えなさそうなら、別に時間使って頭絞って文章考えたり何だりする手間かける必要ないよなー。ゴロゴロしてた方が楽だわー」って、そう思ったのよ。
「自分の好きなシチュエーションを自家発電する」が私の文章の根源だった筈なんだけど、結局それは単なる強がりでしかなくて、本当は多数の人間に読んでもらえて感想とかいろいろもらえる文章を書いてやり取りがしたかった。
……そっちのほうが根っこにあったんじゃないかと思ったわけよ。
まあ、私も人間だからね。当たり前の話だよね。反応はほしい。
でもそこを目指すとなると、ガンガンにリサーチを重ねた上で巷の流行に乗せてSEO盛り盛りに盛った文章を量産していかないといけないわけで、
それだけは死んでも嫌なのよ。
なんでかって、それが私自身に刺さらないから。流行り物には脊髄反射的に逆張りしたくなるってのもあるけど、自分が読んで「くだらない」って思う文章を誰が読みたいと思うよ? って話でもあってさ。
だったらこのまま「自分が望む文章を自分の手で書き続ける」という孤独な道をひたすら行くしかないんだけれど、何というかな。
「他人からの承認がなくても、自分だけが楽しければいい」
行うは難し、だよ。そういう考えに至ろうと思っても至りきれない。
自分が孤独である、と思えば思うほどね。自分の存在価値を何処に置いていいか分からなくなる。他者の承認を集めることでそれが和らぐのではないかと思う。今の私がそんな感じで動いている。
実際は誰かの体の良いように動かされているだけなのだろうけども。
でも、逆にこんな事も思ったりした。
「どうせ誰からも期待されてない文章なら、何も考えずに自分の好きなようにやっちゃってよくね?」
……そう考えたら、もう一度筆を持てる気がした。それこそが「自分の好きなものを自分で作る」ことの真なる意味であり、自分自身に存在意義を持たせることにも繋がるんじゃないかと。あとは作るもので語ればいい、といった感じ。
しかし……その前に、このダラダラした日常からどう手を付けて執筆できる環境を取り戻していくかな……マジでやる気の類が何も湧いてこないのですが。
取り敢えずは家のことしながら何か考えるかぁ。