書きたいから書く。
話したいから話す。
作りたいから作る。
それだけでええんや。
ライフハック界隈のTwitterでこの記事に出会うことが出来たのだが、この記事からいろんな所を辿ってみて、自分のやってることが何故すぐ三日坊主になってしまって続かないのか。その原因を深く知ることができた。
私は普段何を思って文章を書いているのか。
<何かを発信する、書いてみせる>ことで、<色々な人とのコミュニケーションの取っかかりを作りたいから>書いている。ポッドキャストにしても作業配信にしてもそうだ。人との出会いを作りたい。自分の好きなことを話したり盛り上がったりするきっかけを作りたい。そんな気分で書いていることの方が多い気がする。
だから常に<この文章をこのテーマで書いたらどうなる?>的なメリットのようなものを考えて書いているような気がしてならない。
この毎日更新にしたってそうだ。<毎日更新すればある程度人が来てくれるし、スターも貰えるから最低限の自己顕示欲は満たせる>という見返りを得ているからこそ、それを求めるために、あわよくばその先の何かにつなげられそうな、そんな期待を持ちつつ何処かで絶望もしながら書き続けている感はある。
そんな中で始めたのが二次夢創作オンリーの『楽死い日常』だが、
書いてて楽しいのは圧倒的に『楽死い日常』の方なんだよ。
夢中になって書いてて時間が溶ける。気がついたらやたらと文章が膨れあがってる。
何かいつも毎週金曜日の『〆切設定』に追われてる感はあるけど、ダメ人間はダメ人間なりに生きている様を二次元の好きなキャラクターと一緒に暮らしている体でエッセイ化して好きなように書き綴る、ビューは付かないけどやってて楽しい。『自分が本当にやりたかったこと』をやってる感がある。
ただ、〆切守るのは辛いのでこの設定どっかでぶっちぎろうかな、という思いはあるが、それやっちゃうとそのまんま更新が止まりそうなのでどうしたものか、と思ってる。
ぶっちゃけこの『不来方依玖重』という人間、何もしないなら何もしないで別にいいしゲームずっとやってて良いんならそれだけでいいなって思っちゃう人間なので。
――そう。
実は『書くこと』って、そんなに私の中じゃ重要じゃなかったりする。
単に、続けてないと今まで買った文房具の山やアルテミスが無駄になりそうだから表現活動を続けてる、ってな感じなんだろうなと思ってる。
それに言うほど文房具集めも趣味じゃなくて「コレがあれば効率上がりそうかも?!」なんて妙な期待をしながら買ったりしてることの方が多いし。実際の使い途って殆どないわけだから。
手帳リフィルデコで紙面がビシッとキマった時はとても気分良いし楽しいけどさ。でも言うほど手帳に書くこともないから常に書けそうな内容を探してる一面もある。
なんというか、自分にとって〈何が楽しくて〉〈何がそうでないのか〉を蔑ろにしながらやりたいことだけ増やしてったような、そんな気もする。
〈反応が付かないから〉無駄だと思って辞めるのか?
そうじゃないだろうって。
やってるときは間違いなく楽しいんだろって。
だったら、その〈楽しい〉と言う感情を大事にしていこうぜ、と思ったのが、この記事だった。同じ事を自分もこれまでやってきたわけだから。
〈楽しいから〉。ただそれだけでええんや。
あとはADHDのせいもあるんだろうから、物事が続かないのはもう仕方ないことなのかもしれんけど。