『誰か』の臭いが誰かを救うかもしれない

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 『フォロワー数が伸びる方法』みたいなのを実践してる、数だけやたら膨れあがってるアカウントの出すツイートって、だいたいが『他人の役に立つ事だけ発信しましょう』ってなるから、それこそ自己啓発モノだったりする事が多いんだけども。

 『人間』としてのソイツの中身が見えねェ。
 あるのは『胡散臭さ』だけ。

 役に『立つ』か『立たない』かは見た側がそれぞれ決めるのであって、勝手に押しつけられてもどうしようもない。
 最近、私はビジネス書の事を『ビジネスポルノ』と言うようになったけど、
 結局あの手の自己啓発モノは見た人がそれまでに持ちうる知識と経験によって内容が使えるモノになるかどうかが決まる。
 そしてだいたい『読んだけど執行するのは面倒臭いよね』だったり、『うん、タメになった』けど実行に移さないまま時が過ぎたりではい終了、という運びになる。
 読んで一時的には気持ちよくなるんだけど、後まで続かない。

 正直、発言から『ソイツがどういう奴か』というのが見えてこないと、コミュニケーションの取りようがないんだよね。
 単に聞き心地の良い事垂れ流すだけだったら、BOTでもできるんよ。
 で、目の前の君は文字で綴られた構文と同程度の存在なのか? って。

 『単なる一個人の日記』が検索上位を狙いたい広告垂れ流し野郎や情報商材詐欺師に『邪魔だから書くな』と言われても、
 需要を求める人間が居るのは、そういう理由だよ。

 『人間くさいところ』から、『人間の営み』から生きる術のヒントが欲しかったり、ちょっとした笑いの清涼剤が欲しいから覗いてるんだ。中には、こうした上辺だけ取り繕った奴等よりも有意義な事が本文内に鏤められてたりする。読解力と想像力と、裏を取る情報収集技術は必要だけれど、それができれば、今日も誰そ彼そが広め続けている薄っぺらい水増しコンテンツに頼る必要もない。

 みんながみんな同じ方向向いて同じような事をやるからこそ、逆に
 『情報ひとつひとつ、そのものの価値が薄まっていっている』。
 そんな気がしてならない。