『言葉』に意味を持たせるのは

 ハッシュタグ自体は単なる文字の羅列に過ぎない。
 どう使い、どんな意味を与えるかは使い手如何だ。

 最近『ブログ書け』のタグを再度Twitterネタタグとして使うようになった。
 このタグは情報商材屋とその養分層が好んで使っていることもあり、
 そのアンチ界隈からは
 『見かけたらブロックしましょう』と言われるほどに悪名が高い。

 ツールの話と同じで、非常に馬鹿馬鹿しいと思っている。

 私は『原稿やれ』『○コミの進捗どうですか』などと同じく、
 原稿の進捗が芳しくないときの自虐ネタタグと同じ意味で使っていて、
 その事に関してリプライで話したことがあるが、
 それを情報商材アンチ層から『普通の人には自虐だとわかりません』と言われたことがある。
 同人界隈に属してなければ、その程度の認識しかないのだろう。
 見えてる世界が違うな、と思ったのはその時だ。

 そんな輩に遠慮する必要なんてないよね。
 やりたいようにやりゃ良いんだし。

 そもそも、情報商材アンチ層は元々が養分層から『気づきを得て脱却した』人間だったり、
 商材屋に収入源(だいたい広告やアフィリエイト)を
 食い荒らされたネットビジネスマンだったりで、
 『同じ穴の狢』の時点で後者は特に私とは相容れない層だ。
 一層遠慮する必要がなかった。
 それに、普通に生きてたらどっちの属性のアカウントも目にする事がないしね。

 もう一度言うけど、『文字』の羅列である『言葉』に意味を与えるのはあくまでも使い方如何で、
 一部の日本語が長きにわたり誤用された挙げ句、
 誤用の方が一般的な意味や言い方になっていく例然り、
 こうしたネット由来のスラングハッシュタグなどもその運用の仕方如何では
 情報検索タグだったりネタタグだったりと、いろいろ性質を変えられる。
 それを自衛用の判断材料とは言え、
 色眼鏡を通してしか見られないのは、ちょっと勿体ないんじゃないの。

 ――私はそう考えるがね。
 まあ、もっと自由に、のびのびモノ書いていこうぜ。