【ブログ】路端の石に自分の生きた証を刻む、そういう執筆のあり方

「誰に見られなかろうが別にそれでも良い。『生きている証』を残しているという事実は変わらない、それでいいじゃないか」

夕飯食ってるときに上位者と話してた一文。

私は飯がゆっくり食えない。飯の時間=拘束時間だと思ってるから。スマホの画面も見られない書き物もできない、作業に使えないロスタイムだとすら思っている。

そして、私は何時も時間の使い方に後悔がつきまとう。「この時間で○○すればもっと効率よく物事が進められたんじゃないか?」という思いがずっとつきまとうのだ。でも実際はそうして捻出しようとした時間は動画見てたりゲームしたりする時間に消えているのだから、効率もへったくれもあったもんじゃないってのが実情だ。

衝動に勝てないのはADHDあるあるなんだけど、ちゃんと更新もするし頑張るって決めたんだからそれはちゃんとやろうぜ、やり遂げて見せようぜっていうね。

でも、それで私が得るものはなんだ?

――っていう考えがふと頭をよぎることがあるんだよね。

正直、ブログも書かなきゃ別に書かないで良いのよ。ゲームやってる方が楽しいし。でも楽しいことがあったら誰かと共有したいし、ぜひ話し合ってみたいっていう想いがある。

せめて、どんなに緩いものでもいいから、社会的なつながりの一端になってほしい。

そういう願いを込めて文章を書き続けている面がある。要は、自分のことを誰かに聞いて欲しいっていう、そんな感じに似ているな。

で、ココで最初の話に戻るわけなんだ。

その時に誰も見ていなくとも、誰かの目に触れるのは遠い遠い未来のことなのかもしれないし、その時見た人が何を思ってどう文章を受け止めるかは、その人本人にしか解らない。しかし少なくとも「文章を書く」ことで「自分が生きていた証をそこに残している」という目的がひとつ成り立っているのだし、目に見える形での得るものがなくてもそれで十分に目的は果たせているからいいんだよ、という話だった。

それに、金が絡まないからこそ好き勝手できる、ってのは確かにあると思うんだ。

PVが欲しい、金が欲しい、評価が欲しい……を突き詰めた極北にあるのが何であるか。その一番わかりやすい形は『いかがでしたかブログ』ではなかろうか。

……そうはなりたくないからね。

そんな話をして、少しは「書くこと」に対しての肩の力が抜けたかもしれない。これからも自分の好きなように文章を書きつつ、日々をまったり生き抜いていこうと思う。そしてその結果をここに綴るとしよう。それでいいような気がしてきた。