【日常考察】『消費するコンテンツ』に頼らない生活

自分で手を動かし、何かを生み出し、形のないものに『形を持たせる』生活。

それが板に付いてくると、アニメ・マンガ・ゲームといった娯楽に手を出す時間がすごく勿体なくて、気がつけば生産作業に没頭している自分がいるし、そういった物をあまり『楽しい』と感じなくなってしまった。

『見るだけのお手軽さ』になんと慣れすぎていたことか。

確かに、『見るだけ』で消費できてしまうメディア類は手軽に手に取れるし、スキマ時間の暇つぶしにももってこいだ。数分・数十分なんて簡単に潰せてしまう。

だが、その数分ですら『作業時間』に回せば細かい作業がひとつ終えられたり、文字にしてみれば短い1行くらいは書けてしまったりするものだ。そういう時間の使い方を意識するようになると、『潰せる時間』なんてものは、何処にもないことに気づく。

全てがネタ集めの時間であり、全てが執筆の時間になる。

そしてそれを更に後押ししたのが、園芸だ。

植物は、手をかけた分大きくなるし、そうして育った植物は大なり小なり『美しい景観』や『収穫物』でお返しをしてくれる。この2ヶ月の間で、私の家庭菜園でも何度かそうした『お返し』を摘み取る機会があった。

収穫の喜びが更に加わると、かけた時間や金に対して見返りが皆無か極端に少ないソシャゲや、見るだけの動画・静画コンテンツはますます手を付けなくなっていった。

まあ私の場合、『インプット』と称してゲームやってたりするし、人間生きていくのに何かしらの娯楽は必要だから、『ちょっと』時間の使い方が変わっただけ、の話で終わるかもしれないんだけどね。

それでも、『このままで終わりたくない』と思うなら、何処かで自分の中の『当たり前だと思ってた何か』を、ちょっとでも良いから変えていく必要がある。

――そんな気がするんだ。