【日記】起きられる日と起きられない日の違い

『強制力』があるかどうか。

昨日はアレルギーのせいもあって三度寝四度寝したけれど、今日は12:00に目覚めて以降は夕飯の買い物をこなしたり、家計簿(簡単)の処理をしたり、Obsidianで継続しているデイリーページを書いたり、洗濯もしたりといろいろ精力的に動けているしおふとんもすんなり片付けられている。

アレルギーの方はベポタスチンベシルに薬を変えてから若干鼻水は残るものの、概ね症状は抑えられており、外出時のマスク着用と帰宅時の目洗いを徹底するようにしてからは目のアレルギーも出ていない。おかげで今日は動きが良い。

この動きの差は何だろう、と考えたときに、起きられる日は決まって通院だとか買い物のある日が多く、休みの日はダラダラと三度寝四度寝したりして動かない日の方が圧倒的に多い。休みの日こそ思いっきり動いた方がムスメのためにもなるのに。ダラダラした親の姿ばかり見せて育てたら将来ぐーたら娘にならんやろうか……

そこで思ったのが、私は何らかの『強制イベント』がないと起きられないんやな、という結論だ。時間があると許される限界までダラダラしてしまう。それじゃダメだというのに。

もっと起きていろんなことしたいのに。ムスメが居ると執筆とかは阻害されちゃうからダメだけど、それでも電子書籍や紙の本読んで読書ノート作ったり、並んでゲームしたりということはできるはず。「もうちょっと『楽しいと思えること』がしたい」って自分でも言うてたやん。それを寝るばっかりで潰すのも如何なものかと。そのための時間に寝潰していた時間を充てようよ、と。

……そんなことを思いつつも、明日はムスメが学校休みだから早く起きなくていい分楽だけれど、また寝てるのかもしれないなぁと思ったり……でも明日の午前中はムスメを小児科に連れていくというミッションタスクもある。何とか起きてられそうかもしれない。

頑張るぞ。趣味に執筆に充実した時間を取り戻すんだ。