それでも、私は『見えるもの』を作り続ける

 昨日の話の続きっちゃ続きになるんだが。

 『情報資産家』には二通りのタイプが居ると思ってて、
 ひとつは、積極的に他者と関わることで更なる知の発展と相乗効果を狙う型。
 もうひとつは、他者の介在を必要とせず、己の力のみで知を練り上げていく型。
 このふたつ。私は断然後者にあたる。『関わって発展を狙える相手』が存在しないから。

 今でこそ、私は己が『思考の軌跡』をどんな形であれ人目のつくところに残すようにしているが、実際は知識の強化・集約・体系化などの一連の動作は全て私の中だけで完結しているのだから、本来は『人目につかせる』作業は必要なかったりする。
 それでも公開作業を続けているのは、『外の世界と繋がれるきっかけ』として、少しでも自分の中で可能性を残しておきたいのだと思う。
 練り上げた知識を残していくことで、例えその使われ方が自分の制御範疇外にあるとしても、外の世界に何かを残せたら、と思った。
 齢を重ねるうちに大分人間に対しては猜疑心の方が強くなってしまったが、
 それでも誰かと繋がっていたい、という願いのようなものなのかもしれない。

 全て捨ててやる事減らした方が、省エネで生きやすくなるのは間違いないんだけど、
 作って遊んで置いておきたいのが性なんだから、仕方ないじゃん。