【日記】Twitterがなくなることで生まれた効能 -自分のあり方を見つめ直す-

本日は『卯の日』なので、前日の日記にも書いたとおり鵜戸神宮を参拝。片道1Hを60~80kmで車かっ飛ばすのは結構疲れる。日向灘を見ながらのドライブは景色が良くて楽しいけどね……やっぱり遠いよお鵜戸さん。

あと、爆風吹き荒れる鵜戸神宮はクソ寒い!!

海端の断崖にあるからとはいえ超絶吹きさらしだものな……参拝される方は防風装備をしっかり調えた上でお越しください。

おかげで亀岩周辺もこの通り白波だらけ。どんだけ風と波が凄いかがよく解る。

そういや、今日は手水舎にたくさんのお花が生けてあった。立て看板を見るに、奉納された物らしい。最近は何処も彼処も手水舎の上側の水溜がコロナのおかげで使われなくなってるから、こうした形で人の目を楽しませるオブジェクトになるのはキレイで良いな、と思った。

でも、そういう風に思えるようになったのって、ひとえにTwitterなくなって心に余裕が持てるようになったからじゃないかなぁ。

そんなことを最近思ってたりする。Twitter凍結されてまだ1週間ではあるけど。

何というかコレまでの行動パターン、『コレを買えば!』『コレがあれば!』『これをツイートすれば反応貰えるかも!』に支配されて、後から考えてみれば無駄な買い物とか、無駄に頑張ってたのが多かった気がするのよ。自分では「そんなことない」って思いながらも、ちゃっかりSNSに行動支配されてますなぁ。

――というのもね。

Twitter凍結されてから、如実に買い物しなくなったのよ。

AmazonやAliExpressやSHEIN開かないし、ロフトや聖地デサキ行ってもホイホイ文具買わないし、外に出るのは大抵食材の買い物か神社参拝だけだし、100円ショップの類にもあまり足を運ばなくなった。たまに行っても漁るのは手帳デコ用のシールだけだ。

それに、Twitterを見なくなったことでプロモーションや企業の広告ツイートが目に入る機会が完全にシャットアウトされたため、自動的に新製品の情報なども入ってこなくなり、購買意欲の減退に繋がったってのもあると思ってる。

それで全然困らないし寧ろ快適になった感すらある。

で、正直それらを呟いてた頃のインプレッションも思い返してみると20回そこらにしかなってなかったし、ゼロに限りなく近いときもあった。400人超のフォロワー数あってそれなのだから、正直マストドンで同じ事やっても別に変わらないんじゃないかなぁって気はしている。だからマストドンへの移行がスムーズに行ったってのはあると思う。

というか、ぶっちゃけマストドンの方が反応貰えてる気がする。あと最近更新してないけどInstagramもデコ日記とか上げると反応そこそこ貰えてる。

だからこそTwitterはもういいかなって気になってるんだよ。あちらでしか繋がってない人は居るけれども、その気になれば他の手段ででも繋がることはできるし、Twitterがなくなることで切れてしまう縁ってのは所詮その程度だしそこに注力する必要はないのだと、そんなことを教えて貰った気がするのよ。神様に。それに、反応ありきでやる事を決めちゃダメだとも言われてる気がした。

今はノーマンズスカイが面白いのでそっちにかかりきりだけど、またやる気が湧いたらメインブログをもう一度作り直しても良いなって気になっている。その話は、また機会を改めてやろう。

SNSデトックスはマジで良いぞ。