【GAYME】楽しかったはずのゲームが、やりたいけどできない葛藤を叫ぶ

ゲームをしている間は、現実は何も進まない。それは分かっている。

分かっているんだけど、ゲームを楽しめるのも視神経が正常であるうちの『今』だけだと考えると、何も考えずに楽しんでゲームをやりたい、という考えもある。

でもゲームをしていてもスキルや知恵は身に付かない。『社会復帰に向けて力を付ける』という目的がそこで折れてしまう。

それでもそういうものを越えて楽しみたいときがある。

でも、折角ゲームしてもその楽しみを共有するのは難しくなってしまったし……

そんな堂々巡りを続けていくうち、今までゲームを趣味としていたのに、現在では全くゲームができない精神状態にまでなってしまった私が居る。

『ゲーム』=『時間の無駄』とすり込まれるようになってしまった。

そんな状態だから、釣りに行けない日の夜にゲーム開いてのんびりプレイしているうちの上位者(パパパ)を見て、いつも羨ましく思ってしまう。『何も気にせずプレイできていいな』って。

でも、本来はそうして『何も気にせず楽しむ』ことも人生の一部である事は間違いないのだから、生活における効率ばかりを気にせず、無駄を許容してもいいのだ。必要なはずなんだ。

けど一番怖いのは、今までもやって来たように、ゲームすることで今続いてる、続けようとしている活動と習慣を全て投げ出してしまうかもしれないという恐怖。それがいつまでもついて回っている。

ゲームすべきか、すべきでないのか。

でもいい加減積みゲー消化したいのよう!!

――そんな魂の叫びを上げつつ、今日も頭はぐるぐる回る。