"『憧れ』は『理解』とは程遠い感情だよ"
今まで、発信活動を通じてなんとか他人とのとっかかりを作れないか、
昔、ゲームのチャットでやってたようにたくさんの仲間といろんな情報を交換して、という『人の輪の中に居る自分』になれないかと突っ走ってきたけれど、結局私の中に残ったのは、『独りで自分のための生産を続ければイイジャナイ』という結論だった。
そこに他人の存在は必要なく、自力で情報を集め、自分の頭で思考し、その手を以て形にする。
それだけで良い。それだけでいいんだ。
拾い上げるか拾い上げないかは、見た人間が決めること。それは既に私の手から離れている。
私ができるのは、拾い上げやすいように『加工』する事だけだから。
……そもそも、Googleのアルゴリズム変更で個人のコンテンツが軒並み引っかからなくなり、
広告単価もかなり下げられた時点で、ネットでの金稼ぎ方はもう『信者ビジネス』しか残ってない気がするしね。
『夢から覚めるのは早かった』。そんなもんなんだろうね、常世というのは。
――まあ、いろいろあってね。
私は、私のありたい姿を、
今後他人には一切頼らないように決めたし、
そんな物ぶっちゃけ無くてもいい、と思った。
人間はただ生きてるだけだと長いから、その中で『暇つぶし』として何かをする。
それが私の場合はこうした知的生産活動だった、というだけの話だ。
これからも、私はそのゆるい思考と共に、『自分の好きなもの』を作り続ける。
存在意義も何も考えなくていい。
いずれ忘れ去られるのなら、せめて自分の生きてる間だけ覚えてもらえれば
それで済む話だ。
最近、体力があまり保たなくなってきているので、
noteとかあの辺はホントにやるかやらないか考えてる。どうしようかな。